2012年9月11日火曜日

SSメモ:サーヴァントなわたしたち

サーヴァントなわたしたち(春日)

世界の抑止力にして清掃役。
霊長の守護者として拒絶不可能な虐殺に身を投じ続ける契約者たち。
神々の「座」では彼らのことをこう呼んだ。


ーー営業って大変ね。


こらぁっ、お前らーーーーー!!
営業ってなんだよ!? 過労消滅近いとかいってやんなよ!!
お昼のワイドショーできついノルマとか取り扱ってんじゃねーぞ!!!

はぁはぁ……これまたキワモノのSSというか、よくぞまぁ、聖杯戦争を座の視点から描くなんて発想がでたもんだ。。。世界と契約して、あるいは人々の信仰によって至る場所が、よりによってこんなところとは。茶の間でテレビ見て、下界(人々の住んでいる世界)からいろんなモノ持ち帰っては皆と共有してワイワイ騒いで、時に花見をしたり、時にほろ苦い青春を送ったり……。なんか聖杯戦争の舞台裏、のんびりしてるな。クーフーリンとか、もはやフーリンさんという呼び方で落ち着くあたり、なにか言い知れない平和さを感じる。

しかしこれ、一発ネタかとおもいきや、意外に世界観ちゃんと詰めているのはどうしたことだ。地に足のついた世界で、日々をおくる英霊たちが織りなす物語と書けば、まぁなんてことはないほのぼのストーリーになるわけだ。時に事件あり、時に仕事あり、時に上層の企みありと、なかなかまったりしつつ、良い感じにシリアス展開があるあたり、この作者は読者の読みたいものを正面から突いているなぁ、と惚れ惚れする。

ネタは確かに思いつきかもしれないが、それにしたってここまでそのネタに対して真摯に向き合い、誠実なまでに世界を捉えるのは難しいことですよ。いろいろ世界観を詰める上で苦悩する場面とか見えてくるわけですが、そうしたところもきっと作者が悩みに悩んで頭の中かっぽじった果てに、砂漠から一粒のダイヤを見つけ出すがごとくネタを探り当て、描写しているんだろうなあ。

アフターストーリーを描いた「続・サーヴァントなわたしたち」を見ると、いかにきっちりこの世界観がねられているかよくわかります。もちろんコメディなノリは残っているんですが、それでもどういう風に守護者が仕事を行なっているのかとか、正英霊と守護者の違いとかがよく描かれています。非常に上手いのは、これらを一つの事件と絡めて丁寧に描写し、それでいてどう解決していくかちょっとしたミステリチックに描いているところですね。おかげでのめり込むことこの上なし。

こうして見てもやっぱりFateという作品はエミヤシロウの物語なんだなぁ。これだけはちゃめちゃなFateの世界を描いても、やはりエミヤシロウだけはブレないでちゃんと主人公しているあたりに、いかにFateという作品の骨子が太いかを物語っています。もちろんこのSSの作者が意図的にそうしているという側面はあるんですが、でもたぶんこのお話がクーフーリンやメデューサに焦点を当てたとしても、結局エミヤの物語に帰結すると思うんですよね。

型月作品において、神々の座というものはあまりどういうものか具体的に説明されてはいませんでしたが、それを一風変わった視点で捉えようと試みたのがこのSSですね。単にコメディな英霊たちの日常を描くだけなら、こういう設定をつめないで書けばいいのに、それをしないところに律儀さが見て取れます。もう型月作品の設定は飽きたよ、という方も是非一読する価値はあると思います。