2012年8月30日木曜日

SSメモ:トリスタニア診療院繁盛記

トリスタニア診療院繁盛記(FTR)

素朴という言葉がこれほどまでに似合うゼロの使い魔SSが他にあっただろうか。

この文章力に、この空気感。こんなにも素朴で、こんなにも悠然としていて、たしかにその物語が紡ぐ世界には人が住み、願いがあり、そして主人公たちが居た。ファンタジーだとか二次創作だとかそういうのとは関係なしに、もうこのSSにいる人達は描写されているそれだけで現実に生きているのだ。
いやもう反則ですよ、これ。こういう作品に弱いんですよ自分。世界に比べてささやかな願いと、押し寄せる理不尽との間で懸命に生きようとする人たち。現実世界で忘れ去ってしまったものが、どんどん胸の奥から溢れだしてきて、よくわからないノスタルジックなものが頭にこびり付いて離れなくなってしまうんだよ。あぁ、なんでこんなにも泣きたくなるくらい静かな作品なんだ。

戦争があった。サイトやルイズが活躍した。陰謀が在った、英雄がいた。
そう、確かにゼロの使い魔という物語はそういうお話だ。
しかしその裏で傷ついた人たちはどうなっているんだろう。原作でもSSでもなかなかそういった描写は出てこない。むしろどんどんストーリーの進行上不要なものとして、作者も読者もそういったところは書きたくない見たくないと切り捨てられる。その良し悪しは置いておくとして、間違いなくそんな場所に焦点は当てられないのだ。

にも関わらずこのSSのどうしたことか。
己の忠義で主を守れなかった人の自責、片方には恩師であり片方には仇敵である人の死に対する苦悩、戦争の裏でシェルショックに悩む人達、部下の前で弱音が吐けない上官の孤独。これらを逐一描写し、悩みぬく人々の姿はこれが単なるSS内における存在なのか疑わしくなる。現実世界のどこかで誰かが、間違いなく今この時に同じ悩みを抱えててもおかしくない。それだけのリアリティを一切の妥協無く、適当なご都合主義に走ることもなく、余すところなく思いの丈を形にしている。これを物語に対して真摯と言わずになんと言おう。

主人公であるヴィクトリアの周りには常に家族といってもいい3人がいた。原作では影に埋もれたマチルダ、虚無として在るテファ、そしてヴィクトリアの使い魔であり……世界の異物でもあるディルムッド。正直物語の必然性としてはこの4人である必要はまったくない。いやむしろこれだけ独特な世界を描けるなら、尚の事この4人にすべきではなかった。マチルダはその扱いやすさからSSで使い古されており、テファは便利な虚無としてあるいはヒロインやハーレムの一員として都合のいい存在であるため、安易な使用は作品の陳腐化にいとも容易くつながる。なによりディルムッドというわざわざ別作品からキャラを引っ張ってくるのは、多くのクロスオーバー否定派の読者から批判されるだろう。それも最も嫌な形でご都合主義と蔑まれるほどに。こんなにも素朴なストーリーにおいて、外部からの声が大きくなるようなキャラを使用するのはまさしく愚行ともいえるだろう。

しかしだ。
だからこそ、この人選には作者の願いと想いが込められているとわかる。安寧を求めていた、平和に暮らしたかった、忠を貫きたかった、そして自分の手の届く範囲で人を救いたかった。究極的にはそれらの願いは理不尽に抗いたかった、という一言に集約されるだろう。ただそれだけの想いを作者は単純に描きたかったからこそ、このSSはこんなにもシンプルでいて、そして優しい物語になったのだろう。