2012年8月31日金曜日

SSメモ:キミといた夏

キミといた夏(DAN)

病気を扱った小説ってのは基本的に物語の流れが似通ってしまいます。
それはだいたいの作品が山場も谷も同じような展開になってしまうからで、それはまぁ仕方のないことですよ。勇者と魔王モノのように、勇者という存在が当たり前に存在して、魔王という存在が当たり前のように存在する、そんな物語の前提と同じであり、病気があれば人の生き死にに関係してくるだけなのですから。
だからこそ作者の特徴が現れやすい作品でもあるんですよね。

本作「キミといた夏」は多分に漏れず、病気をテーマに扱ったものです。しかもその病気が心臓病ときたら、もうこれまで数多もの作品が世に出ており、SSはもちろんのこと、一般小説、映画、ラノベなど、どこにだってありふれているんですよ。そうした中で敢えてこのSSをメモするのは、物語の作りがよかったとか、一風変わった文体だとか、雰囲気がよかったなどの文章に関連するものではなく、単純に作者の顔が一番見えるからなんですよね。

とある心臓病にかかった少女と、少女を取り巻く人達の物語。
言ってしまえばそれだけのことなんです、このSSは。空気としてはライトノベルの「半分の月がのぼる空」に似ているかもしれません。まぁ、あっちとはヒロインの性質がだいぶ違いますが(笑)
もちろん冒頭で述べた通り展開も似ていて、ボーイミーツガールから始まり、恋愛要素やら医者との関係やら、親のことやら、よくも悪くも病気モノとして王道を走っています。ただ違いは、やはり作者なんですよね。

Webという媒体は本に比べて圧倒的に表現が自由です。そして編集の意図や商業的な意図も必要なく、ただただ思いを綴るだけでそれが力になります。もちろんその代わり技巧は稚拙で、文体はぐだぐだで、独り善がりに歩きまわる作品になるかもしれません。ただそれゆえに、作者がどの部分に力を入れているのか、おもいを込めているのか、といったことが本に比べて遥かにわかりやすく出てき、それでいて作者がどういう思いで文章を書いているのか見えるわけです。

この作品でいえば展開が移り変わる際にところどころ挿入される少女のモノローグがそれです。プロローグとエピローグに必ず挿入されるこのモノローグ、物語の展開を盛り上げることはもちろんのこと、痛いほどに作者がこの作品で何を描きたいか伝わってきます。それはとても素直な表現方法なんですよね。高度な文章力とか、比喩表現とか、はたまた文章構成だとか小説のギミックだとか、そういうものに一切頼らない、愚直なまでの心情の吐露。それがこの作者の顔であり、このSSの優しさであり、この作品に込められた想いなんです。

『世界はすごく綺麗だったよ、素敵だったよ
辛いことも、悲しいことも、嫌なこともあったけど
それ以上に、楽しいこと、うれしいこと、しあわせなことで満ち溢れていたよ』
(「キミといた夏」 第63話より)

もうこれだけで十分なんです。
すべての物語の展開は、こういった言葉を紡ぐそのためにあったんです。
キャラクターが生きている作品もたくさんありますが、これはきっと作者の想いが生きている作品なんです。登場人物たちが紡ぐ、作者の想いの物語。