魔法の世界の魔術し!(泣き虫カエル)
泣きたくなるくらい平凡で丁寧で繊細で、まるで竪琴の音色を聞いているかのごとく心が静まるというか、間違いなく読んでて癒されます。Fateとネギま!のクロス作品は数あれど、自分にとってはこの作品が原点なので、いろいろともしかしたら過大評価しているかもしれませんが、それでもこんな優しい文体で物語が紡がれているのは他のクロスではなかなか見られない。
衛宮士郎とエヴァンジェリン。
かたや正義としてにっちからさっちまでえっちらおっちら戦場見たらどっこいしょとどこにでも現れる正義の味方で、かたや悪としてにっちからさっちまでえっちらおっちら戦場見たらそそくさと関わらない闇の福音。結局士郎は自分から関わり、エヴァは他人から関わられるので、力が必要になるのはどっちも同じなんですが、改めてこうも二人が揃って歩いているのを見ると、なんだか不思議な気分です。この二人の心情をとくと描写し、ゆっくりその日常を描いているところが、作者わかってる。
設定としてはもはやテンプレートですね。士郎がどこかから麻帆良に転移するという、そしてエヴァと最初に鉢会うという、どこにでもありふれた展開。といっても、作品ができた当時はまだまだこの設定も現役で、むしろこの作品がテンプレート展開の一助となっているのではないでしょうか。そのあたりを事情を考えて序盤読むと、いろいろ感慨深い。あの作品はここからこういう風に派生したよなーとか、あの作品はそもそもこういう展開から避けたよなーとか、いろいろ読んできたSSを思い浮かべます。
冒頭でも書いたんですけど、すごく展開が丁寧なんですよね。
士郎が世界の違いに驚くのとか、もはや誰も書かないだろうなぁ。書くのを面倒くさがって、これはあれか平行世界というやつか、という一文で収まってしまう。そこでわざわざ考察するのもしない。士郎ってエミヤに近くなればなるほど思慮深くなるんだし、ある程度戦闘能力持ってるならそういうところちゃんと書いて欲しいなと思うわけで、このSSは見事にそこに応えてくれています。まぁ、士郎がちょっとすぐに慣れ親しみ過ぎというのが違和感あるところですが、なでぽほどじゃないのでそういう作品だと思ってスルー。刹那とまじめに戦闘しているところとか、それも実力のゴリ押しではなく非常に狡猾に勝っているところとか見ると、こいつ結構実力はエミヤに近いくせに士郎のままだよなぁ。
あぁ、あれだ。
なんというか文章から優しさとか繊細さとか感じられるけど、根本的にあるのは切なさだ。この士郎、正直言って世界に居るものの、常にどこか遠くを見ているんですよ。客観的というか。もちろん弓矢を投影してエヴァに当てて楽しむという、おいこらほのぼのしてるなぁ! と思う場面とかあるわけですが、どうにもいつか自分はこの世界からいなくなるという前提で動いているようにしか見えない。他人と深く関わることはなく、それはエヴァとの関わり方も同じで、刹那の師匠しているわりに事情に踏み込まず、結局流れるままに生きている。文体にもそれがところどころにじみ出ているんですよね。独白するところとかまさにそんな感じですし、まかり間違っても桜ルートのような士郎には見えません。
投稿数少ないと思われますが、実は本当はもっともっとあって、具体的には超が出てくるあたりまで分量ありました。にじファン以前からずっとファンだったのですが、どうにも何度となく掲載場所が移転したのを受けて、さらに読者のよくわからない辛辣な感想で、現在はもうモチベーションが維持できず更新ストップしています。完結まで書いてあるというのにもったいないとおもいますが、それ以上に作者の方が大丈夫かどうか気になります。ちゃんと静養できていればいんですが。二度とこういう作家のモチベーションを奪わないよう、読者の方には気をつけてもらいたいんですけどねえ。
2012年9月22日土曜日
2012年9月20日木曜日
SSメモ: UBW~倫敦魔術綺譚
UBW~倫敦魔術綺譚(冬霞 / 夏色)
あぁ、この表面上はほのぼのとしていて、けれど裏で薄氷上に立っているような緊張感の混じったなんとも言えない空気感。まさしく原作Fateの日常パートを読んでいる時に感じた安心さと不安さであり、だからこそ否応なしにも話の先にパンドラの匣があることを予感させます。たとえ原作後のストーリーといえど、やはりFateSSの空気はこういうのでなければ。
UBWアフターを描くというのは、そもそもFateSSにおいてNGな行為として捉えられることが多いんですよね。というのもFateSS全盛期において「Fate/In Britain」と「Brilliant Years(へみるworldというサイトで掲載していたが、現在は観閲不可)」というUBWアフターを描いた2つの超大作SSがあり、この2つが双璧を成して他のSSを寄せ付けないほど人気を博してしまったからなんです。そのせいか読者もUBWアフターSSに求めるハードルがぐーんと上がり、生半可なSSを読んでも面白いと感じないどころか、見向きすらしないという状態になっているわけです。作者も作者で上記二作品を見ることなくUBWアフターを書く人はほとんどおらず、そして見たら見たでレベルの高さを目の当たりにして自然と書くのを自重してしまうという。
そういう状況だからこそ、もうこの手のSSは二度と見れないかなーと内心とても残念に思っていたんですが、そんな時にこのSSの登場ですよ。UBWアフター作品と銘打ってるわけですから、そりゃもう目が惹かれます。惹かれないわけがありません。どれどれちょいと顔を拝ませてもらおうかと自信たっぷりにスコップ携えて寄ってみれば、敷地を跨いで地面を踏んだ途端にずぶずぶと足が面白さという地面の穴に嵌り込み、スコップなぞもってんじゃねぇ!(若本ボイス)とこちらを飲み込んでくるではありませんか。これはもう見る他無い。というより抜け出せない。
かぁーっ、もうなんというかオリ主紫遙くんの不幸っぷりがたまんない。士郎って基本的に不幸なことでも大抵前向きに捉えてそれって不幸なの?を地で言ってくるから時々ものすごくイラっとくるんですが、この紫遙くんはむしろ「いいよいいよ……どうせ不幸だよ……」と半ば諦めがついてるので凹む様子の楽しいこと。やるときゃやるのに、なぜこうにもヘタレなのか。まぁ、あの蒼崎姉妹の元でこき使われていれば誰だってこうなるか。
凛もルヴィアも相変わらずで何より。この二人はどのSSでも本当混ぜるな危険状態ですよね。もっともこういう関係は羨ましい限りですが。ぶっちゃけ「似て非なる」からこそ「非なる」部分でわーわー物言いするんだけで、結局似てるところをお互い認めてるあたり似たもの同士って羨ましいなぁって思います。ある意味でエミヤと士郎もそんな関係だと思うんですよね。結局互いに嫌悪する理由がそこだったわけだし。もちろん片方が理想論で、片方が達観論なことは否定しませんが。でもその違いさえなければ、あの二人なにげに良いコンビだと思うわけですよ。誰かそんなSS書いてくれないかなー。二人がこたつで落ち着いて将来について話し合うSS。題名は流行りを取り入れて『士郎「おれ、正義の味方になる」エミヤ「たわけ」』で。
しかしよく書いたよなぁ、これ。
チャレンジ精神満載というか、真っ向からFateという作品を見つめなおしているというか。敢えてこの題材で書こうとするあたり、どこかに作者の伝えたい思いがあると思うんですけどねぇ。それは続きを読んでから、ということでしょうか。まるで昔ながらの家に現代の匠の技を取り入れるかのごとく、昔ながらのアフターと近年流行りのオリ主トリップを組み合わせた至高の一品SS。これぞまさに劇的ビューティフルビフォー&エクセレントアフター。もう古参FateSS読みとしては大歓喜ですよ。
惜しむべきはにじファン閉鎖騒動に巻き込まれて、あれだけの長編を今はちょっとずつ改稿しながら理想郷に投稿しているというところ。ぐぬぬ、見直したいけど見直せないこのもどかしさと、ちょっとずつ作品が更新されていくこの期待でドキムネな感じ。作者の焦らしプレイスキルは非常に高いと見た。
追記(2013年3月11日)
ハーメルンにて改定前の作品の投稿を確認。
UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)
あぁ、この表面上はほのぼのとしていて、けれど裏で薄氷上に立っているような緊張感の混じったなんとも言えない空気感。まさしく原作Fateの日常パートを読んでいる時に感じた安心さと不安さであり、だからこそ否応なしにも話の先にパンドラの匣があることを予感させます。たとえ原作後のストーリーといえど、やはりFateSSの空気はこういうのでなければ。
UBWアフターを描くというのは、そもそもFateSSにおいてNGな行為として捉えられることが多いんですよね。というのもFateSS全盛期において「Fate/In Britain」と「Brilliant Years(へみるworldというサイトで掲載していたが、現在は観閲不可)」というUBWアフターを描いた2つの超大作SSがあり、この2つが双璧を成して他のSSを寄せ付けないほど人気を博してしまったからなんです。そのせいか読者もUBWアフターSSに求めるハードルがぐーんと上がり、生半可なSSを読んでも面白いと感じないどころか、見向きすらしないという状態になっているわけです。作者も作者で上記二作品を見ることなくUBWアフターを書く人はほとんどおらず、そして見たら見たでレベルの高さを目の当たりにして自然と書くのを自重してしまうという。
そういう状況だからこそ、もうこの手のSSは二度と見れないかなーと内心とても残念に思っていたんですが、そんな時にこのSSの登場ですよ。UBWアフター作品と銘打ってるわけですから、そりゃもう目が惹かれます。惹かれないわけがありません。どれどれちょいと顔を拝ませてもらおうかと自信たっぷりにスコップ携えて寄ってみれば、敷地を跨いで地面を踏んだ途端にずぶずぶと足が面白さという地面の穴に嵌り込み、スコップなぞもってんじゃねぇ!(若本ボイス)とこちらを飲み込んでくるではありませんか。これはもう見る他無い。というより抜け出せない。
かぁーっ、もうなんというかオリ主紫遙くんの不幸っぷりがたまんない。士郎って基本的に不幸なことでも大抵前向きに捉えてそれって不幸なの?を地で言ってくるから時々ものすごくイラっとくるんですが、この紫遙くんはむしろ「いいよいいよ……どうせ不幸だよ……」と半ば諦めがついてるので凹む様子の楽しいこと。やるときゃやるのに、なぜこうにもヘタレなのか。まぁ、あの蒼崎姉妹の元でこき使われていれば誰だってこうなるか。
凛もルヴィアも相変わらずで何より。この二人はどのSSでも本当混ぜるな危険状態ですよね。もっともこういう関係は羨ましい限りですが。ぶっちゃけ「似て非なる」からこそ「非なる」部分でわーわー物言いするんだけで、結局似てるところをお互い認めてるあたり似たもの同士って羨ましいなぁって思います。ある意味でエミヤと士郎もそんな関係だと思うんですよね。結局互いに嫌悪する理由がそこだったわけだし。もちろん片方が理想論で、片方が達観論なことは否定しませんが。でもその違いさえなければ、あの二人なにげに良いコンビだと思うわけですよ。誰かそんなSS書いてくれないかなー。二人がこたつで落ち着いて将来について話し合うSS。題名は流行りを取り入れて『士郎「おれ、正義の味方になる」エミヤ「たわけ」』で。
しかしよく書いたよなぁ、これ。
チャレンジ精神満載というか、真っ向からFateという作品を見つめなおしているというか。敢えてこの題材で書こうとするあたり、どこかに作者の伝えたい思いがあると思うんですけどねぇ。それは続きを読んでから、ということでしょうか。まるで昔ながらの家に現代の匠の技を取り入れるかのごとく、昔ながらのアフターと近年流行りのオリ主トリップを組み合わせた至高の一品SS。これぞまさに劇的ビューティフルビフォー&エクセレントアフター。もう古参FateSS読みとしては大歓喜ですよ。
惜しむべきはにじファン閉鎖騒動に巻き込まれて、あれだけの長編を今はちょっとずつ改稿しながら理想郷に投稿しているというところ。ぐぬぬ、見直したいけど見直せないこのもどかしさと、ちょっとずつ作品が更新されていくこの期待でドキムネな感じ。作者の焦らしプレイスキルは非常に高いと見た。
追記(2013年3月11日)
ハーメルンにて改定前の作品の投稿を確認。
UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)
2012年9月14日金曜日
SSメモ:捻れた運命と真理
捻れた運命と真理(わかな)
なんとも珍しい組み合わせを見たものだ。
鋼の錬金術師とFateって等価交換など多少の共通点はあるにせよ、お互いがお互いに確固たる世界観を築いているせいで、組み合わせると齟齬どころか致命的に世界観丸潰してアヒルがネギしょってやってきたという違和感満載状態になると思ってたんですけど……。
いやはや驚いた。
これほどまでに見事に組み合わされているクロスオーバーSSも実に珍しい。パワーバランスすら大きく違う両作品をこれほど鮮やかにミックスさせて、それでいて原作のシリアスさを壊さずストーリーが進行できるとは、ちょっとどころではなく尋常ならざるぐらい作者のバランス感覚優れてます。トランプタワーの上でベイブレード回してるようなものですよ。ちなみに試しにできるかどうかやってみたんですが、トランプタワーすら組み立てられませんでした。不器用なことくらい知ってたさっ(泣)
それはさておき。
凛とアーチャー(ついでにルビー)がハガレン世界に来たらというIFストーリーというのが本作の特徴なわけですが、これがまた馴染む馴染む。エドたちはもちろん、ロイやらスカーやらとの話し合いも違和感なく進むあたり何か間違ってるはずなんですけどねぇ……。それもこれも、両者ともにかなり柔軟な思考をしているからなんでしょう。
凛たちは平行世界とかいろいろ知識と概念があるから納得できたり許容できたりするんですが、本来エドワードたちはそうした考えをもっていませんから、なんのこっちゃと理解できないと思うんですよね。ただそこにあり得ないなんてあり得ない、という言葉をグリードから聞いていることもあり、うまい具合下地が重なって、受け入れることができていると。そしてさらに魔術が自分たちには使えないと言われても、発想は使えるかもしれないと貪欲になれるあたり、こいつらやっぱりどんな作品でも主人公だよ、と思わされます。思考の柔軟性でいえば、ひょっとすると凛よりも(昔の知識にこだわっているため)エドたちの方が強いのかもしれませんね。なまじそれは知識がないからかもしれませんが。
一番肝心なことは、こうした場面を作者が違和感を感じさせずにすべてを描ききっていることなんですよね。エドワードが賢者の石を使う際の葛藤とか、アメストリスの異常に対する凛の反応とか、もう原作以上に原作らしいんですよ。何度もしつこいかもしれませんが、この作品を混ぜ合わせるバランス感覚って本当天性のものだと思うんですよ。間違いなく混ぜるのが難しい作品であり、それはこのクロスオーバーを描いているSSがほぼないことからも明らかなんですが、その上でこれだけうまく物語を展開できるのは、作者の力量がいかに優れているか示しています。
なんというか、このSSって無理のないように物語が在るんですよね。
FateというSSがクロスオーバーする場合、往々にしてエミヤが世界わたって活躍したと思えば敵に別のFateキャラが出てきたり、世界の修正力とかで英霊が出てきたりと、正直その展開はちょっと無理がないかと感じるんですよ。たとえどんな理由があったところで別作品別世界に型月作品の魔術概念をそのまま適用しているあたり、違和感を拭えないというか。
ところがこのSSに関してはそういった兆候があんまり見られないし、むしろアーチャーまったく活躍してないしどっちかって言えばボロボロだし……そういうわけで、今のところ安心してハガレン世界を楽しめるんですよね。
作者のわかなさんにはぜひ完結まで頑張って欲しいところ。クロスオーバーSSの見本として、いろんな人にその面白さが伝わるといいな。
なんとも珍しい組み合わせを見たものだ。
鋼の錬金術師とFateって等価交換など多少の共通点はあるにせよ、お互いがお互いに確固たる世界観を築いているせいで、組み合わせると齟齬どころか致命的に世界観丸潰してアヒルがネギしょってやってきたという違和感満載状態になると思ってたんですけど……。
いやはや驚いた。
これほどまでに見事に組み合わされているクロスオーバーSSも実に珍しい。パワーバランスすら大きく違う両作品をこれほど鮮やかにミックスさせて、それでいて原作のシリアスさを壊さずストーリーが進行できるとは、ちょっとどころではなく尋常ならざるぐらい作者のバランス感覚優れてます。トランプタワーの上でベイブレード回してるようなものですよ。ちなみに試しにできるかどうかやってみたんですが、トランプタワーすら組み立てられませんでした。不器用なことくらい知ってたさっ(泣)
それはさておき。
凛とアーチャー(ついでにルビー)がハガレン世界に来たらというIFストーリーというのが本作の特徴なわけですが、これがまた馴染む馴染む。エドたちはもちろん、ロイやらスカーやらとの話し合いも違和感なく進むあたり何か間違ってるはずなんですけどねぇ……。それもこれも、両者ともにかなり柔軟な思考をしているからなんでしょう。
凛たちは平行世界とかいろいろ知識と概念があるから納得できたり許容できたりするんですが、本来エドワードたちはそうした考えをもっていませんから、なんのこっちゃと理解できないと思うんですよね。ただそこにあり得ないなんてあり得ない、という言葉をグリードから聞いていることもあり、うまい具合下地が重なって、受け入れることができていると。そしてさらに魔術が自分たちには使えないと言われても、発想は使えるかもしれないと貪欲になれるあたり、こいつらやっぱりどんな作品でも主人公だよ、と思わされます。思考の柔軟性でいえば、ひょっとすると凛よりも(昔の知識にこだわっているため)エドたちの方が強いのかもしれませんね。なまじそれは知識がないからかもしれませんが。
一番肝心なことは、こうした場面を作者が違和感を感じさせずにすべてを描ききっていることなんですよね。エドワードが賢者の石を使う際の葛藤とか、アメストリスの異常に対する凛の反応とか、もう原作以上に原作らしいんですよ。何度もしつこいかもしれませんが、この作品を混ぜ合わせるバランス感覚って本当天性のものだと思うんですよ。間違いなく混ぜるのが難しい作品であり、それはこのクロスオーバーを描いているSSがほぼないことからも明らかなんですが、その上でこれだけうまく物語を展開できるのは、作者の力量がいかに優れているか示しています。
なんというか、このSSって無理のないように物語が在るんですよね。
FateというSSがクロスオーバーする場合、往々にしてエミヤが世界わたって活躍したと思えば敵に別のFateキャラが出てきたり、世界の修正力とかで英霊が出てきたりと、正直その展開はちょっと無理がないかと感じるんですよ。たとえどんな理由があったところで別作品別世界に型月作品の魔術概念をそのまま適用しているあたり、違和感を拭えないというか。
ところがこのSSに関してはそういった兆候があんまり見られないし、むしろアーチャーまったく活躍してないしどっちかって言えばボロボロだし……そういうわけで、今のところ安心してハガレン世界を楽しめるんですよね。
作者のわかなさんにはぜひ完結まで頑張って欲しいところ。クロスオーバーSSの見本として、いろんな人にその面白さが伝わるといいな。
2012年9月11日火曜日
SSメモ:サーヴァントなわたしたち
サーヴァントなわたしたち(春日)
世界の抑止力にして清掃役。
霊長の守護者として拒絶不可能な虐殺に身を投じ続ける契約者たち。
神々の「座」では彼らのことをこう呼んだ。
ーー営業って大変ね。
こらぁっ、お前らーーーーー!!
営業ってなんだよ!? 過労消滅近いとかいってやんなよ!!
お昼のワイドショーできついノルマとか取り扱ってんじゃねーぞ!!!
はぁはぁ……これまたキワモノのSSというか、よくぞまぁ、聖杯戦争を座の視点から描くなんて発想がでたもんだ。。。世界と契約して、あるいは人々の信仰によって至る場所が、よりによってこんなところとは。茶の間でテレビ見て、下界(人々の住んでいる世界)からいろんなモノ持ち帰っては皆と共有してワイワイ騒いで、時に花見をしたり、時にほろ苦い青春を送ったり……。なんか聖杯戦争の舞台裏、のんびりしてるな。クーフーリンとか、もはやフーリンさんという呼び方で落ち着くあたり、なにか言い知れない平和さを感じる。
しかしこれ、一発ネタかとおもいきや、意外に世界観ちゃんと詰めているのはどうしたことだ。地に足のついた世界で、日々をおくる英霊たちが織りなす物語と書けば、まぁなんてことはないほのぼのストーリーになるわけだ。時に事件あり、時に仕事あり、時に上層の企みありと、なかなかまったりしつつ、良い感じにシリアス展開があるあたり、この作者は読者の読みたいものを正面から突いているなぁ、と惚れ惚れする。
ネタは確かに思いつきかもしれないが、それにしたってここまでそのネタに対して真摯に向き合い、誠実なまでに世界を捉えるのは難しいことですよ。いろいろ世界観を詰める上で苦悩する場面とか見えてくるわけですが、そうしたところもきっと作者が悩みに悩んで頭の中かっぽじった果てに、砂漠から一粒のダイヤを見つけ出すがごとくネタを探り当て、描写しているんだろうなあ。
アフターストーリーを描いた「続・サーヴァントなわたしたち」を見ると、いかにきっちりこの世界観がねられているかよくわかります。もちろんコメディなノリは残っているんですが、それでもどういう風に守護者が仕事を行なっているのかとか、正英霊と守護者の違いとかがよく描かれています。非常に上手いのは、これらを一つの事件と絡めて丁寧に描写し、それでいてどう解決していくかちょっとしたミステリチックに描いているところですね。おかげでのめり込むことこの上なし。
こうして見てもやっぱりFateという作品はエミヤシロウの物語なんだなぁ。これだけはちゃめちゃなFateの世界を描いても、やはりエミヤシロウだけはブレないでちゃんと主人公しているあたりに、いかにFateという作品の骨子が太いかを物語っています。もちろんこのSSの作者が意図的にそうしているという側面はあるんですが、でもたぶんこのお話がクーフーリンやメデューサに焦点を当てたとしても、結局エミヤの物語に帰結すると思うんですよね。
型月作品において、神々の座というものはあまりどういうものか具体的に説明されてはいませんでしたが、それを一風変わった視点で捉えようと試みたのがこのSSですね。単にコメディな英霊たちの日常を描くだけなら、こういう設定をつめないで書けばいいのに、それをしないところに律儀さが見て取れます。もう型月作品の設定は飽きたよ、という方も是非一読する価値はあると思います。
世界の抑止力にして清掃役。
霊長の守護者として拒絶不可能な虐殺に身を投じ続ける契約者たち。
神々の「座」では彼らのことをこう呼んだ。
ーー営業って大変ね。
こらぁっ、お前らーーーーー!!
営業ってなんだよ!? 過労消滅近いとかいってやんなよ!!
お昼のワイドショーできついノルマとか取り扱ってんじゃねーぞ!!!
はぁはぁ……これまたキワモノのSSというか、よくぞまぁ、聖杯戦争を座の視点から描くなんて発想がでたもんだ。。。世界と契約して、あるいは人々の信仰によって至る場所が、よりによってこんなところとは。茶の間でテレビ見て、下界(人々の住んでいる世界)からいろんなモノ持ち帰っては皆と共有してワイワイ騒いで、時に花見をしたり、時にほろ苦い青春を送ったり……。なんか聖杯戦争の舞台裏、のんびりしてるな。クーフーリンとか、もはやフーリンさんという呼び方で落ち着くあたり、なにか言い知れない平和さを感じる。
しかしこれ、一発ネタかとおもいきや、意外に世界観ちゃんと詰めているのはどうしたことだ。地に足のついた世界で、日々をおくる英霊たちが織りなす物語と書けば、まぁなんてことはないほのぼのストーリーになるわけだ。時に事件あり、時に仕事あり、時に上層の企みありと、なかなかまったりしつつ、良い感じにシリアス展開があるあたり、この作者は読者の読みたいものを正面から突いているなぁ、と惚れ惚れする。
ネタは確かに思いつきかもしれないが、それにしたってここまでそのネタに対して真摯に向き合い、誠実なまでに世界を捉えるのは難しいことですよ。いろいろ世界観を詰める上で苦悩する場面とか見えてくるわけですが、そうしたところもきっと作者が悩みに悩んで頭の中かっぽじった果てに、砂漠から一粒のダイヤを見つけ出すがごとくネタを探り当て、描写しているんだろうなあ。
アフターストーリーを描いた「続・サーヴァントなわたしたち」を見ると、いかにきっちりこの世界観がねられているかよくわかります。もちろんコメディなノリは残っているんですが、それでもどういう風に守護者が仕事を行なっているのかとか、正英霊と守護者の違いとかがよく描かれています。非常に上手いのは、これらを一つの事件と絡めて丁寧に描写し、それでいてどう解決していくかちょっとしたミステリチックに描いているところですね。おかげでのめり込むことこの上なし。
こうして見てもやっぱりFateという作品はエミヤシロウの物語なんだなぁ。これだけはちゃめちゃなFateの世界を描いても、やはりエミヤシロウだけはブレないでちゃんと主人公しているあたりに、いかにFateという作品の骨子が太いかを物語っています。もちろんこのSSの作者が意図的にそうしているという側面はあるんですが、でもたぶんこのお話がクーフーリンやメデューサに焦点を当てたとしても、結局エミヤの物語に帰結すると思うんですよね。
型月作品において、神々の座というものはあまりどういうものか具体的に説明されてはいませんでしたが、それを一風変わった視点で捉えようと試みたのがこのSSですね。単にコメディな英霊たちの日常を描くだけなら、こういう設定をつめないで書けばいいのに、それをしないところに律儀さが見て取れます。もう型月作品の設定は飽きたよ、という方も是非一読する価値はあると思います。
2012年9月8日土曜日
SSメモ:正義の烙印
正義の烙印(朔夜)
二次創作というのにこの救いようの無さだよ。
ある意味で原作Fate/Zeroの暗い空気をよくぞまぁこんなにも丁寧に再現したものだ。これ書いてる当時、Zeroという作品は話の筋しか情報なかったはず(多分)なのに、ここまでダークな雰囲気を表現できているのは脱帽モノです。
SSのコンセプト的には第4次聖杯戦争にエミヤシロウを混ぜてみた、というありふれたものですが、異様にこの切嗣とエミヤのコンビがマッチしている。こいつらに奇襲させたら厄介にもほどがあるぜぇい……。どこかの作品の考察で切嗣は真っ向から戦車で突入するセイバーを召喚してしまったがゆえに戦争に負けたと考察しているサイトがあったが、このSS読んでるとあながちその考察も間違っていないように思えてくる。改めてこいつほど正攻法が似合わない男もいないと実感。
実際のところ物語終盤にかかると、FateのSSを読み慣れているせいか、おおよそこの話の終わらせかたが見えてくるんですよね。結局のところエミヤは皮肉屋で冷酷で捻くれていて、それでいて優しくて不器用でひたむきに頑固で……そんなエミヤが切嗣のことを恨んでいるとはいえ救おうとしないわけないんですよ。
本筋では結局直接的にそうした描写をしませんでしたが、もうさりげなく……そっと背を押すくらいさり気なくアイリスフィールとの過去回想を入れることで、エミヤの内心を表現するこのギミック。もうこんなの反則ですよ。あぁ、その場面がまじまじと想像できてしまう。アイリスフィールの冷たくなった手が、硝煙に焼けたエミヤの頬が、有り得るはずのない母と子の邂逅が。
「もっと良く顔を見せて。私は貴方を知らないけれど、あの人の子であるのなら。私にとっても、大事な息子よ」(正義の烙印 act.11 より)
雪解け水も流れだすような暖かさと言い知れない寂寥感の混ざったこの感覚を、なんと呼べばいいんでしょうね。冒頭で救いがないと言いましたが、ある意味ではこういうところに作者の思い描く救いがあるのかもしれません。犠牲という烙印を押すことでしか正義を示せない不器用な二人。一方はこのSS内で息子に理想を奪うことで、一方はこのSSではない遠い並行世界で理想を叶える過程を無駄なんかじゃないと己に諭されることで、それぞれ答えを得るわけです。
あー、そういう意味では救いようのない物語でもないのか……? どうなんでしょうね、ぶっちゃけ生存者数変わんないけど、生存者の状況が原作よりほんの少し救いようがあるわけですから、原作ほど救いようがないわけじゃあないですけど、それでも生存者数変わんないあたりやっぱりこれ救いよう無い物語だよなぁ。
しかし、昨今Fate/Zeroの文庫化&アニメ化で人気があがり、多くの二次創作が出た中でこのSSを見返すといろいろと感慨深いものがある。実は一部の原作キャラクター削ってオリジナルキャラクターを大量に投入しているわけですが、まぁ作品の生い立ちと時代を考えればそれも仕方のないことですよね。ただしライダーやらウェイバーといった主要人気キャラは変わっていないのでご安心を。あ、でもCOOOOOOOLな旦那とかいないな。まぁ、あいつらはいいか(
しかしそのために所謂第4次の最大の見所であるイスカンダルVSギルガメッシュがないとか(ただし代わりとなるウェイバー成長要素はある)、アルトリアとランスロットのやりとりがないとか、結構重要な要素が抜けているんですが、おそらくそうしたものは続編の「烙印を継ぐ者たち」で補完するんでしょうね。うばぁ、早く続編が読みたい。なにせこの続編、期待いっぱいな出だしと上記の要素を予期させるサーヴァントの面々が登場しており、さっそう期待するなと言う方が無理なほど。うがー、続編はまだかーーー!!!
二次創作というのにこの救いようの無さだよ。
ある意味で原作Fate/Zeroの暗い空気をよくぞまぁこんなにも丁寧に再現したものだ。これ書いてる当時、Zeroという作品は話の筋しか情報なかったはず(多分)なのに、ここまでダークな雰囲気を表現できているのは脱帽モノです。
SSのコンセプト的には第4次聖杯戦争にエミヤシロウを混ぜてみた、というありふれたものですが、異様にこの切嗣とエミヤのコンビがマッチしている。こいつらに奇襲させたら厄介にもほどがあるぜぇい……。どこかの作品の考察で切嗣は真っ向から戦車で突入するセイバーを召喚してしまったがゆえに戦争に負けたと考察しているサイトがあったが、このSS読んでるとあながちその考察も間違っていないように思えてくる。改めてこいつほど正攻法が似合わない男もいないと実感。
実際のところ物語終盤にかかると、FateのSSを読み慣れているせいか、おおよそこの話の終わらせかたが見えてくるんですよね。結局のところエミヤは皮肉屋で冷酷で捻くれていて、それでいて優しくて不器用でひたむきに頑固で……そんなエミヤが切嗣のことを恨んでいるとはいえ救おうとしないわけないんですよ。
本筋では結局直接的にそうした描写をしませんでしたが、もうさりげなく……そっと背を押すくらいさり気なくアイリスフィールとの過去回想を入れることで、エミヤの内心を表現するこのギミック。もうこんなの反則ですよ。あぁ、その場面がまじまじと想像できてしまう。アイリスフィールの冷たくなった手が、硝煙に焼けたエミヤの頬が、有り得るはずのない母と子の邂逅が。
「もっと良く顔を見せて。私は貴方を知らないけれど、あの人の子であるのなら。私にとっても、大事な息子よ」(正義の烙印 act.11 より)
雪解け水も流れだすような暖かさと言い知れない寂寥感の混ざったこの感覚を、なんと呼べばいいんでしょうね。冒頭で救いがないと言いましたが、ある意味ではこういうところに作者の思い描く救いがあるのかもしれません。犠牲という烙印を押すことでしか正義を示せない不器用な二人。一方はこのSS内で息子に理想を奪うことで、一方はこのSSではない遠い並行世界で理想を叶える過程を無駄なんかじゃないと己に諭されることで、それぞれ答えを得るわけです。
あー、そういう意味では救いようのない物語でもないのか……? どうなんでしょうね、ぶっちゃけ生存者数変わんないけど、生存者の状況が原作よりほんの少し救いようがあるわけですから、原作ほど救いようがないわけじゃあないですけど、それでも生存者数変わんないあたりやっぱりこれ救いよう無い物語だよなぁ。
しかし、昨今Fate/Zeroの文庫化&アニメ化で人気があがり、多くの二次創作が出た中でこのSSを見返すといろいろと感慨深いものがある。実は一部の原作キャラクター削ってオリジナルキャラクターを大量に投入しているわけですが、まぁ作品の生い立ちと時代を考えればそれも仕方のないことですよね。ただしライダーやらウェイバーといった主要人気キャラは変わっていないのでご安心を。あ、でもCOOOOOOOLな旦那とかいないな。まぁ、あいつらはいいか(
しかしそのために所謂第4次の最大の見所であるイスカンダルVSギルガメッシュがないとか(ただし代わりとなるウェイバー成長要素はある)、アルトリアとランスロットのやりとりがないとか、結構重要な要素が抜けているんですが、おそらくそうしたものは続編の「烙印を継ぐ者たち」で補完するんでしょうね。うばぁ、早く続編が読みたい。なにせこの続編、期待いっぱいな出だしと上記の要素を予期させるサーヴァントの面々が登場しており、さっそう期待するなと言う方が無理なほど。うがー、続編はまだかーーー!!!
2012年9月5日水曜日
SSメモ:正義の味方と悪い魔法使い
正義の味方と悪い魔法使い(ヒフミ)
クロスオーバーのSSっていろんな意味で挑戦的なんですよね。
独自解釈で互いの世界の違いを埋めなければならないし、どっちか片方に傾倒するような作品だと批判が飛び交うし、何より楽しめる読者の絶対量が少ない。こうした諸々の制約があるにも関わらず敢えてクロスオーバーを書こうとするのは、よっぽど作品を気に入っているか、作品を超えた何かを描きたいからなのではないでしょうか。クロスオーバーを求める読者は、そうしたSS作者の描きたい何かに惹きつけられて、物語にはまっていくんです。
本作「正義の味方と悪い魔法使い」はFateとネギま!のクロスオーバー作品。これだけだとまたか、と敬遠するくらいにはありふれた組み合わせです。設定も衛宮士郎がネギま!の世界に行くというもので、もう見飽きたと言う人もたくさんいるでしょう。
ただ。
そう。ただ、このSSに限っては見飽きた人も一読する価値はあると思います。なにせこのSS、4分の1は士郎の過去(ネギま!世界に至る経緯)についてこれでもかと鮮明に描写されており、その上でネギま!の世界での出来事を書いているわけですから非常に秀逸した出来になっています。いやー、Fateが暗くてダークな演出してる分、ネギま!の明るさが救いです。ちょうどいい具合の塩梅で物語が進むので、見ていてほどよい雰囲気です。
しかしもうなんというか、上手い。ただただ上手いとしか言いようがないくらい、士郎の過去話が作りこまれています。胸からこみ上げてくる何かが涙腺を刺激しては、切ない痛みが心をじくじくとえぐり込み、正義の味方というこの上ない破綻した生き方の苦しみを味わえます。そして何よりこうした思いを知った上で、悪い魔法使いとはなんぞやという命題に真っ向から挑戦し、ここに正義の味方と悪い魔法使いの原点が登場するわけです。
士郎の冷たさと暖かさを併せ持つがゆえに正義の味方としてのあり方に苦悩し進むという姿をここまで表現できるとは、正直クロスオーバーとしてではなくそのままFateのSSにすればよかったものをと思わなくもなかったわけではないんですよね。ただし、結局FateというSSにしてしまうと、そこで止まってしまうわけです。もちろん士郎の姿を描くだけならFateという作品なので十分なんですが、その先を見てみたいという気持ちがあることをこの作品で気付かされました。
正義の味方として歩き進むこと。呪いにも等しい愚直な思いとどう付き合うのか。そして周りの人たちはどうそれを見守り、悩み、支えるのか。それぞれの想いの先を、見てみたいという気持ちが心のどこかに少なからずあったんですよね。それはきっと自分だけではなく、SSを読みあるいは書く人たちの中に、気づかないくらいそっと根付いている。このSSがFate、ネギま!という作品のクロスオーバーなのは、この作者にとって、Fateの士郎とそれを取り巻く人達の答えがネギま!という作品に存在していた、ただそれだけなんじゃないんでしょうか。
考えてみればネギま!作中に出てくる悪の魔法使いなんて、正義の味方の対局にあるような在り方なんですよね。ある程度独自の解釈や考察が含まれますが、正直はっきりとここまで対比するように物語が進むとは思いませんでした。この対比構造が、きっと何かしらの答えを生み出すきっかけになるんでしょう。本当両作品への愛が伝わってきます。互いの作品を貶すことなく作品を混ぜあわせ、リスペクトした結果が題名にある「正義の味方」と「悪の魔法使い」という言葉に集約され、この両者が紡ぐ物語にこそ作者の描きたいものが在るのだと、まじまじと感じさせられます。
2012年9月2日日曜日
SSメモ:Fate/In Britain
Fate/In Britain(dain)
何らかの分野における先駆者ってのは得てして支持される傾向にあるが、その質に関しては後発組の方がいいというのはままあること。ただ荒削りながら今まで見たことのないものを見させてくれるという意味で、後発組が先駆者に勝る道理はない。
Fate/In Britainという作品はだからこそ、多くの人に支持され、未だなおおすすめFate SSの中でも筆頭にあがるのだろう。
初めて本作を読んだ時は心躍りましたね。
だって舞台がロンドンですよ? アフターストーリーでロンドンものってそれだけで「おぉおおお!!」ってなるじゃないですか。それまで再構成だとか違う英霊召喚だとかが主流だった中で、これほどチャレンジング(原作では設定だけしか語られていないので)なものはないと思いましたよ。そしてその期待にたぐわぬ面白さを提供されたら、そら信者もできるわと納得。分量も多く、展開も面白く、キャラごとに焦点を当てた書き分けも見事ときたら、もうあとは読みふけるしか無いでしょ。
しかもロンドンだけかと思ってたら、冬木のことについても言及しているじゃありませんか。あぁ、もうUBWラストを迎えた後に必ず残る遺恨をこの場でこういう形で精算するとは、もはや計画通りではないですけど、読者にほれほれ読みたかろうって迫ってるのも同じですよ。いいだろう読んでやろうじゃないか!! と思い立ったばかりに深夜2時間ほど夢中にしてしまったのはもはやいい思い出。翌日寝坊したことすらも覚えているあたり、おいおいどれだけ影響受けてるんだってなります。
とにもかくにもこの作品、原作へのリスペクト具合が半端無いんですよ。士郎の特異性に対する新たな考察しかり、切嗣が残した魔術の鍛錬法しかり、うまい具合に原作のエピソードを利用して、面白いストーリー展開をしてきます。革鎧ネタを見た時は、本当この人何者だと(笑) 2012年現在、Fate/Zeroという作品が出てきて、多少設定で食い違うところも出ていますが、それでもなお独自の解釈と考察でここまで作品を深掘りできているのは素晴らしいとしか言葉がでません。基本的には士郎たちの日常を描いているわけですが、たまに出てくる魔術考察ではっとさせられるあたり、作者の着眼点の鋭さが垣間見えます。
それにしても士郎、凛、そしてセイバーがロンドンに渡ったら、本当にこんな生活があったんでしょうね。ルヴィアが加わり、士郎は厄介事に首をつっこみ、凛がお金を消費して、セイバーが苦労する。もう一連の流れが手に取るように頭の中でイメージできるあたり、この作品が自身に及ぼした影響の凄まじさを物語っています。ただまぁ、ドタバタしてて魔術師らしいところがあまり見つからないのはどうなんでしょうねw もちろん事件に巻き込まれる時は魔術関係でしっかり補正されるんですが、それ以外の日常はどうにも微笑ましい生活しか思い浮かばない(笑)
きっとこれからもこいつらはこんな風に生きていくんだろうな。少なくとも自分の心のなかでは彼ら(彼女ら)の日常がドラえもんばりに延々と続いています。たまに喧嘩して、たまに苦労して、たまに悲しんで、たまに喜び騒いで、そしてたまに人生を謳歌して。刹那の日常から永劫な未来まで、変わらぬ愛をこめて。もー、お前ら最高だっ。
何らかの分野における先駆者ってのは得てして支持される傾向にあるが、その質に関しては後発組の方がいいというのはままあること。ただ荒削りながら今まで見たことのないものを見させてくれるという意味で、後発組が先駆者に勝る道理はない。
Fate/In Britainという作品はだからこそ、多くの人に支持され、未だなおおすすめFate SSの中でも筆頭にあがるのだろう。
初めて本作を読んだ時は心躍りましたね。
だって舞台がロンドンですよ? アフターストーリーでロンドンものってそれだけで「おぉおおお!!」ってなるじゃないですか。それまで再構成だとか違う英霊召喚だとかが主流だった中で、これほどチャレンジング(原作では設定だけしか語られていないので)なものはないと思いましたよ。そしてその期待にたぐわぬ面白さを提供されたら、そら信者もできるわと納得。分量も多く、展開も面白く、キャラごとに焦点を当てた書き分けも見事ときたら、もうあとは読みふけるしか無いでしょ。
しかもロンドンだけかと思ってたら、冬木のことについても言及しているじゃありませんか。あぁ、もうUBWラストを迎えた後に必ず残る遺恨をこの場でこういう形で精算するとは、もはや計画通りではないですけど、読者にほれほれ読みたかろうって迫ってるのも同じですよ。いいだろう読んでやろうじゃないか!! と思い立ったばかりに深夜2時間ほど夢中にしてしまったのはもはやいい思い出。翌日寝坊したことすらも覚えているあたり、おいおいどれだけ影響受けてるんだってなります。
とにもかくにもこの作品、原作へのリスペクト具合が半端無いんですよ。士郎の特異性に対する新たな考察しかり、切嗣が残した魔術の鍛錬法しかり、うまい具合に原作のエピソードを利用して、面白いストーリー展開をしてきます。革鎧ネタを見た時は、本当この人何者だと(笑) 2012年現在、Fate/Zeroという作品が出てきて、多少設定で食い違うところも出ていますが、それでもなお独自の解釈と考察でここまで作品を深掘りできているのは素晴らしいとしか言葉がでません。基本的には士郎たちの日常を描いているわけですが、たまに出てくる魔術考察ではっとさせられるあたり、作者の着眼点の鋭さが垣間見えます。
それにしても士郎、凛、そしてセイバーがロンドンに渡ったら、本当にこんな生活があったんでしょうね。ルヴィアが加わり、士郎は厄介事に首をつっこみ、凛がお金を消費して、セイバーが苦労する。もう一連の流れが手に取るように頭の中でイメージできるあたり、この作品が自身に及ぼした影響の凄まじさを物語っています。ただまぁ、ドタバタしてて魔術師らしいところがあまり見つからないのはどうなんでしょうねw もちろん事件に巻き込まれる時は魔術関係でしっかり補正されるんですが、それ以外の日常はどうにも微笑ましい生活しか思い浮かばない(笑)
きっとこれからもこいつらはこんな風に生きていくんだろうな。少なくとも自分の心のなかでは彼ら(彼女ら)の日常がドラえもんばりに延々と続いています。たまに喧嘩して、たまに苦労して、たまに悲しんで、たまに喜び騒いで、そしてたまに人生を謳歌して。刹那の日常から永劫な未来まで、変わらぬ愛をこめて。もー、お前ら最高だっ。
2012年8月30日木曜日
SSメモ:トリスタニア診療院繁盛記
トリスタニア診療院繁盛記(FTR)
素朴という言葉がこれほどまでに似合うゼロの使い魔SSが他にあっただろうか。
この文章力に、この空気感。こんなにも素朴で、こんなにも悠然としていて、たしかにその物語が紡ぐ世界には人が住み、願いがあり、そして主人公たちが居た。ファンタジーだとか二次創作だとかそういうのとは関係なしに、もうこのSSにいる人達は描写されているそれだけで現実に生きているのだ。
いやもう反則ですよ、これ。こういう作品に弱いんですよ自分。世界に比べてささやかな願いと、押し寄せる理不尽との間で懸命に生きようとする人たち。現実世界で忘れ去ってしまったものが、どんどん胸の奥から溢れだしてきて、よくわからないノスタルジックなものが頭にこびり付いて離れなくなってしまうんだよ。あぁ、なんでこんなにも泣きたくなるくらい静かな作品なんだ。
戦争があった。サイトやルイズが活躍した。陰謀が在った、英雄がいた。
そう、確かにゼロの使い魔という物語はそういうお話だ。
しかしその裏で傷ついた人たちはどうなっているんだろう。原作でもSSでもなかなかそういった描写は出てこない。むしろどんどんストーリーの進行上不要なものとして、作者も読者もそういったところは書きたくない見たくないと切り捨てられる。その良し悪しは置いておくとして、間違いなくそんな場所に焦点は当てられないのだ。
にも関わらずこのSSのどうしたことか。
己の忠義で主を守れなかった人の自責、片方には恩師であり片方には仇敵である人の死に対する苦悩、戦争の裏でシェルショックに悩む人達、部下の前で弱音が吐けない上官の孤独。これらを逐一描写し、悩みぬく人々の姿はこれが単なるSS内における存在なのか疑わしくなる。現実世界のどこかで誰かが、間違いなく今この時に同じ悩みを抱えててもおかしくない。それだけのリアリティを一切の妥協無く、適当なご都合主義に走ることもなく、余すところなく思いの丈を形にしている。これを物語に対して真摯と言わずになんと言おう。
主人公であるヴィクトリアの周りには常に家族といってもいい3人がいた。原作では影に埋もれたマチルダ、虚無として在るテファ、そしてヴィクトリアの使い魔であり……世界の異物でもあるディルムッド。正直物語の必然性としてはこの4人である必要はまったくない。いやむしろこれだけ独特な世界を描けるなら、尚の事この4人にすべきではなかった。マチルダはその扱いやすさからSSで使い古されており、テファは便利な虚無としてあるいはヒロインやハーレムの一員として都合のいい存在であるため、安易な使用は作品の陳腐化にいとも容易くつながる。なによりディルムッドというわざわざ別作品からキャラを引っ張ってくるのは、多くのクロスオーバー否定派の読者から批判されるだろう。それも最も嫌な形でご都合主義と蔑まれるほどに。こんなにも素朴なストーリーにおいて、外部からの声が大きくなるようなキャラを使用するのはまさしく愚行ともいえるだろう。
しかしだ。
だからこそ、この人選には作者の願いと想いが込められているとわかる。安寧を求めていた、平和に暮らしたかった、忠を貫きたかった、そして自分の手の届く範囲で人を救いたかった。究極的にはそれらの願いは理不尽に抗いたかった、という一言に集約されるだろう。ただそれだけの想いを作者は単純に描きたかったからこそ、このSSはこんなにもシンプルでいて、そして優しい物語になったのだろう。
素朴という言葉がこれほどまでに似合うゼロの使い魔SSが他にあっただろうか。
この文章力に、この空気感。こんなにも素朴で、こんなにも悠然としていて、たしかにその物語が紡ぐ世界には人が住み、願いがあり、そして主人公たちが居た。ファンタジーだとか二次創作だとかそういうのとは関係なしに、もうこのSSにいる人達は描写されているそれだけで現実に生きているのだ。
いやもう反則ですよ、これ。こういう作品に弱いんですよ自分。世界に比べてささやかな願いと、押し寄せる理不尽との間で懸命に生きようとする人たち。現実世界で忘れ去ってしまったものが、どんどん胸の奥から溢れだしてきて、よくわからないノスタルジックなものが頭にこびり付いて離れなくなってしまうんだよ。あぁ、なんでこんなにも泣きたくなるくらい静かな作品なんだ。
戦争があった。サイトやルイズが活躍した。陰謀が在った、英雄がいた。
そう、確かにゼロの使い魔という物語はそういうお話だ。
しかしその裏で傷ついた人たちはどうなっているんだろう。原作でもSSでもなかなかそういった描写は出てこない。むしろどんどんストーリーの進行上不要なものとして、作者も読者もそういったところは書きたくない見たくないと切り捨てられる。その良し悪しは置いておくとして、間違いなくそんな場所に焦点は当てられないのだ。
にも関わらずこのSSのどうしたことか。
己の忠義で主を守れなかった人の自責、片方には恩師であり片方には仇敵である人の死に対する苦悩、戦争の裏でシェルショックに悩む人達、部下の前で弱音が吐けない上官の孤独。これらを逐一描写し、悩みぬく人々の姿はこれが単なるSS内における存在なのか疑わしくなる。現実世界のどこかで誰かが、間違いなく今この時に同じ悩みを抱えててもおかしくない。それだけのリアリティを一切の妥協無く、適当なご都合主義に走ることもなく、余すところなく思いの丈を形にしている。これを物語に対して真摯と言わずになんと言おう。
主人公であるヴィクトリアの周りには常に家族といってもいい3人がいた。原作では影に埋もれたマチルダ、虚無として在るテファ、そしてヴィクトリアの使い魔であり……世界の異物でもあるディルムッド。正直物語の必然性としてはこの4人である必要はまったくない。いやむしろこれだけ独特な世界を描けるなら、尚の事この4人にすべきではなかった。マチルダはその扱いやすさからSSで使い古されており、テファは便利な虚無としてあるいはヒロインやハーレムの一員として都合のいい存在であるため、安易な使用は作品の陳腐化にいとも容易くつながる。なによりディルムッドというわざわざ別作品からキャラを引っ張ってくるのは、多くのクロスオーバー否定派の読者から批判されるだろう。それも最も嫌な形でご都合主義と蔑まれるほどに。こんなにも素朴なストーリーにおいて、外部からの声が大きくなるようなキャラを使用するのはまさしく愚行ともいえるだろう。
しかしだ。
だからこそ、この人選には作者の願いと想いが込められているとわかる。安寧を求めていた、平和に暮らしたかった、忠を貫きたかった、そして自分の手の届く範囲で人を救いたかった。究極的にはそれらの願いは理不尽に抗いたかった、という一言に集約されるだろう。ただそれだけの想いを作者は単純に描きたかったからこそ、このSSはこんなにもシンプルでいて、そして優しい物語になったのだろう。
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